汐碕市は誰のもの?

最終更新日時 : 2015/12/29

急に涼しくなったのう。
寒暖の差が激しいと体力が奪われやすいのじゃ。
風邪など引かぬように気をつけるのじゃぞ。引き始めたと思ったらビタミンCを摂るのがよいのじゃ。じゃが疲れているときは逆に風邪を引いてゆっくり休んだ方がよいときもあるぞよ。夏の暑さにやられておるなら充分休養することも重要じゃ!

橘瑠璃火

今日は汐碕市の簡単な歴史の話をするのじゃ。
汐碕市は昔から人が住んでおったのじゃが、考古学的にわかっておるのは奈良時代くらいまでじゃ。それ以前に人が住んでおった形跡はないのじゃ。つまり縄文・弥生・古墳・飛鳥時代には汐碕市はずっと無人じゃったということじゃな。もっともそれは発見できていないだけなのかもしれぬがのう。
それはともかく、奈良時代に橘氏がこの汐碕市を拝領したのが始まりとされておってな、それ以降、明治維新までこの汐碕の土地は橘氏のものだったのじゃ。明治政府が出来て廃藩置県などが行われたときに橘氏はこの汐碕の地を日本政府に譲渡したのじゃな。
なぜ橘氏がこの汐碕の地を拝領できたかというとじゃな、これは憶測じゃが、橘氏が唯一、この浮いている汐碕に来ることが出来たということじゃろうのう。つまり橘氏は昔から何らかの術が使えたと言うことじゃ。
ところで妾の名前は「ルイーゼ・アンナ・フォン・ホラント」じゃ。どこにも橘という名前は入っておらぬ。実は橘氏の嫡流(本流)である橘家は理由があって人前に出ることが出来ぬのじゃ。そのため、所領の管理は橘家の忠実な部下であったホラント家が執り行っておったのじゃ。ホラント家はいわば橘家の表の顔といったところかのう。
これはちょうど守護と守護代のような関係じゃな。守護が橘家で、守護代がホラント家ということじゃ。

現在でも橘氏嫡流、橘家のお屋敷がこの汐碕市にはあるぞよ。それと支流で長いこと神官を務めておった同じ橘を名乗る家も神社を構えておる。橘叢雲祇(たちばなむらくもずみ)神社じゃな。まぁ神社なのにそこの神主の娘は天使じゃがな。希有なこともあるものじゃ。

ところで橘家とホラント家──守護と守護代──のような関係はなにも日本だけではないのじゃ。ヨーロッパにも大公とその執政をしていたのが伯爵という国があってな、確か名前をカリオ……おっとまた執事が呼んでおるようじゃ。今日の話はここまでじゃ。ん? 安心するのじゃ、今は橘家とホラント家は仲が良いぞよ? 今は、な。

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