カテゴリー「 汐碕市 」の記事

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師走じゃ。皆のもの、元気にしておるか?
妾は大忙しじゃ。クリスマス・シーズンじゃからのう。イベントがてんこ盛りなのじゃ。市外のいろいろな自治体からもお呼びがかかっておってな、全国を飛び回っておるのじゃ。我が市はクリスマスとなると何かと全国的に脚光を浴びるのじゃ。古くからキリスト教と縁があったからかも知れぬのう。
ちなみに今年の汐碕市の観光客じゃが、300百万人を突破しそうじゃ。夏が暑かったからのう。ますます観光都市として栄えるとよいのじゃが、市の性質上、あまりたくさん人を迎えられないのが難しい所じゃ。
かの有名なベニスなどは年間2000万人も観光客が訪れているそうじゃ。あんな狭い場所なのに、羨ましい限りじゃ。

さて、今宵は賢者の話を少しするとしようかのう。
賢者というのは、人間が様々な力を手に入れ、人間という枠組みを超えた者のことを言うのじゃ。じゃからして、元から人間じゃない者は含めないのじゃ。
我らが暮らすこの地球には600人ほどの賢者がいるとされておる。彼らはそれぞれお互いの存在を知っておる。じゃがそれぞれの賢者がどのような力を有しておるのかまでは知ることはできぬのじゃ。もっとも賢者がその手の内を明かしてしまえば、解ってしまうがのう。
そしてこの賢者が国の衰勢に関わっていることは否定はせぬ。賢者をたくさん抱えておる国が栄えていることが多いからじゃ。賢者とは不思議な力を使うだけでなく、古の失われた知識や、人間が考えつきもしない思考が可能だったりするからのう。自ずと国の運営などに関わったりする者が多いのじゃ。

もちろん、そういった世界を嫌って姿をくらます者もおる。

表向きは賢者同士は戦ってはならんことになっておる。
その理由は賢者の力が強大だからじゃ。
じゃが、これは往々にして守られておらぬ。小競り合いは決して珍しくないのじゃ。賢者とはいえ、人間じゃからのう。どうしてもそこには人間的感情が働いてしまうのじゃ。

ところで、正々堂々と賢者同士が戦える時というのがあるのじゃ。それは新しい賢者が生まれる時なのじゃ。賢者会議で、この地球上の賢者の数は600人と決められおる。これ以上増えてはいかんのじゃ。賢者が寿命や事故などで死亡した場合は空きができるが、賢者が死なない限り、新しい賢者は古い賢者を倒して初めて賢者として認められるのじゃ。

なに? こっそり賢者と同じ力をつければよいじゃと?
うむ、もちろんそれも可能じゃ。じゃがしかし残念ながら賢者ほどの力をつければ、自ずと不自然な状況を招いて、いつかは賢者に匹敵する力を持っていることが妾たちにバレてしまうのじゃ。例えば寿命をとうに過ぎておるのに生きているとか、社会的に有り得ない大成功をしてしまうとかじゃな。
そうやって影で生まれた賢者は、妾たち賢者によって強制的に排除されてしまうのじゃが、その排除しに来た賢者を倒せば、逆に其奴が賢者の仲間入りとなるワケじゃ。こうして賢者は少しずつではあるが世代交代して行くとともに、より強い者が残ってゆくのじゃ。


10 月ももう終わりじゃ。
一年も残る所、あと 2 ヶ月じゃな。汐碕市では初雪が観測されたのじゃ。これから汐碕市も冬に備えて、気圧や気温の調節に忙しくなるぞよ。

さてと、今日は汐碕市に転入したいときの話をするのじゃ。実は汐碕市には誰でもが住めるというわけではないのじゃ。汐碕市はその土地が限られているばかりか、他の土地とくっついているわけでもない。じゃから、人口に制限があるのじゃ。
主に酸素や飲み水、それからゴミ処理の問題じゃな。ゴミ処理は他市に請け負ってもらったりしておるのじゃが、地上に降ろすコストがバカにならんのじゃ。じゃからなるべく汐碕市内でリサイクルできるものはリサイクルしようといろいろ努力はしておるのじゃが……なかなか難しくてな。

というわけで、現在汐碕市に住める人数は 10 万 5001 人と決まっておる。この数字は科学的のみならず社会学的な要素など様々な角度から専門家が話し合って決めたのじゃ。これにプラス、観光客の分じゃな。我が市の観光客のキャパシティがこれまた 10 万人じゃ。つまりこの汐碕市に同時にいられる人間の数は約 20 万人ということじゃ。
じゃから、汐碕市にすでに 10 万人観光客がおったら、それ以上の人間は入ることができぬのじゃ。

じゃがこの制度は憲法 22 条に違反しているのではないかという話も出ておってなぁ、まったく面倒くさい限りじゃ。そもそもそれ以上人を入れたら、どうなるか解ったもんではないのにのう……ブツブツ。

で、じゃ、我が市に住むには基本的に我が市の不動産を取得することじゃ。別に賃貸でもかまわん。汐碕市に空きが出れば、普通に不動産会社が紹介するぞよ。モナコのように年収が何千万円ないと住めないとか、そういうことはないから安心するのじゃ。じゃが前にも話した通り、汐碕市に住むにはそれなりの所得が必要じゃ。物価が高めじゃからのう。
それとアレじゃ、高所恐怖症の人は住みにくいかも知れぬな。

ちなみに転出は自由じゃ。特に制限はないぞよ。

急に涼しくなったのう。
寒暖の差が激しいと体力が奪われやすいのじゃ。
風邪など引かぬように気をつけるのじゃぞ。引き始めたと思ったらビタミンCを摂るのがよいのじゃ。じゃが疲れているときは逆に風邪を引いてゆっくり休んだ方がよいときもあるぞよ。夏の暑さにやられておるなら充分休養することも重要じゃ!

橘瑠璃火

今日は汐碕市の簡単な歴史の話をするのじゃ。
汐碕市は昔から人が住んでおったのじゃが、考古学的にわかっておるのは奈良時代くらいまでじゃ。それ以前に人が住んでおった形跡はないのじゃ。つまり縄文・弥生・古墳・飛鳥時代には汐碕市はずっと無人じゃったということじゃな。もっともそれは発見できていないだけなのかもしれぬがのう。
それはともかく、奈良時代に橘氏がこの汐碕市を拝領したのが始まりとされておってな、それ以降、明治維新までこの汐碕の土地は橘氏のものだったのじゃ。明治政府が出来て廃藩置県などが行われたときに橘氏はこの汐碕の地を日本政府に譲渡したのじゃな。
なぜ橘氏がこの汐碕の地を拝領できたかというとじゃな、これは憶測じゃが、橘氏が唯一、この浮いている汐碕に来ることが出来たということじゃろうのう。つまり橘氏は昔から何らかの術が使えたと言うことじゃ。
ところで妾の名前は「ルイーゼ・アンナ・フォン・ホラント」じゃ。どこにも橘という名前は入っておらぬ。実は橘氏の嫡流(本流)である橘家は理由があって人前に出ることが出来ぬのじゃ。そのため、所領の管理は橘家の忠実な部下であったホラント家が執り行っておったのじゃ。ホラント家はいわば橘家の表の顔といったところかのう。
これはちょうど守護と守護代のような関係じゃな。守護が橘家で、守護代がホラント家ということじゃ。

現在でも橘氏嫡流、橘家のお屋敷がこの汐碕市にはあるぞよ。それと支流で長いこと神官を務めておった同じ橘を名乗る家も神社を構えておる。橘叢雲祇(たちばなむらくもずみ)神社じゃな。まぁ神社なのにそこの神主の娘は天使じゃがな。希有なこともあるものじゃ。

ところで橘家とホラント家──守護と守護代──のような関係はなにも日本だけではないのじゃ。ヨーロッパにも大公とその執政をしていたのが伯爵という国があってな、確か名前をカリオ……おっとまた執事が呼んでおるようじゃ。今日の話はここまでじゃ。ん? 安心するのじゃ、今は橘家とホラント家は仲が良いぞよ? 今は、な。

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