妾は魔法使いじゃが、一般的な科学的教育も受けておる。簡単に言えば数学や物理、化学といったものじゃ。
化学記号も解るし、ベンゼン環もわかるし、相対性理論も理解しておるし、なんなら量子力学や M 理論や超弦理論なども目を通しておる。実に興味深い学問じゃ。
脳科学にも興味はあるし、遺伝子や微生物のことも理解しているつもりじゃ。
科学によってこの世界の様々な性質や仕組みが解明され、我ら人類が大いに発展してきたことは間違いないのじゃ。
そしてこの科学の目を使って魔を解明することは可能じゃ。妾が行使する様々な不思議な力がどのように作用しておるのかをつぶさに観測し、その威力や影響範囲を分析することは、今や何億光年先の天体を観測し、原子どころかクォークまでをも解き明かす科学の目をもってすれば造作もないことじゃろう。
何故かというと魔法だろうが科学だろうが、目の前で起きていることに変わりはないからじゃ。魔で起こした炎であろうと、ライターで起こした炎であろうと、炎が起きたことはかわらぬ。目の前にそれがある以上、それを科学的に解析・分析することは可能じゃ。じゃから魔は科学で解明することが可能なのじゃ。魔法とて理(ことわり)なしになんでもかんでもが可能になっているわけではないのじゃ。
じゃがそのメカニズムが解ったとして、同じことが科学できるのかというとこれは別問題じゃ。マナ、精霊、地霊、神の干渉、術者の何らかの力などによって呪文と触媒を通して発動する魔は根本的に成り立ちが科学とは異なるのじゃ。科学には科学のやりようがあり、魔には魔のやりようがある。ただ科学が入り込む余地はある。それは魔を妨害したり、逆に増幅させたりすることじゃ。
たとえば呪文詠唱中の妾をぶん殴れば、呪文は中断し、魔は発動せぬ。
ファイアボールが炸裂する場所に、大量の火薬を置いておけば、その爆発力はさらに増すじゃろう。
じゃから魔も科学もどちらも使えると強力かもしれぬ。が、残念ながらもう魔の時代は来ぬ。それは今、我らが住む世界を見渡せば解る事じゃ。魔が使える者は数えるほどしかおらぬ。何故か? 魔は誰にでも使えるものではないからじゃ。ライターのようにワンタッチで炎がつくわけでもないし、スイッチを入れれば明かりがともるわけでもない。
炎を一つ起こすのでも、自分の得意とする魔の領域を知り、その力の源を知り、触媒を見つけ出し、呪文を憶えなければならぬ。マッチを擦るより遙かに困難で手順も多いのじゃ。
じゃが、魔を会得した者は、常人では到達できぬ知と技とそしてエネルギーを手にすることができることは間違いないのじゃ。そしてそれこそが、魔の魅力といえるのかもしれぬな。